過去への執着が私の判断を歪めたのだろう

自分が被写体の側に回ってみると、ろくに笑えもしない。他人に笑顔やら物憂げな表情やらを求めてきた自分が、いかに身勝手だったか、被写体の側になってみるとよくわかる。

そんなわけで、50歳になった。これを機に、カメラマンのまくらあさみさんに写真を撮ってもらい、デザイナーのこしに私の名前のタイポグラフィーを制作してもらった。こしは、いつだかの元日の恵比寿LIQUIDROOMで初めて会ったとき、私の顔に酒をかけて舐めだした酔っぱらいだった。こう書いてみると、よくそんな泥酔者と仲良くなったものだと思う。まくらあさみさんは、ZOCの撮影中にモニターに表示されていく写真のあまりの素晴らしさに、思わず撮影を依頼してしまった。身の丈に合わないことは、私が一番に承知している。

自分が50歳になること、つまりは老いていくことを受け入れることは、なかなかの苦痛でもある。ふだんのインタビュー仕事では、相手の年齢を話題にすることも多いので、ここでも自分の身勝手さを思い知ることになる。

鈴木博文さんの1999年のアルバム『Birds』では、「Red Moon Trip」という楽曲が好きだ。その「果てしないようで 限りある未来」という歌詞が、いつからか重く響くようになった。たらちねジョンの漫画「海が走るエンドロール」は、65歳になって映画を撮るために大学生になる「うみ子」が主人公なのだが、読んでいて胸をかきむしられるものがある。いつの間にか、私は「老い」の側に身を置いていた。

とはいえ、私が商業ライターとして上向きになったのは40代後半からなので、一筋縄ではいかないものだ。2018年に初めてAKB48やLDHの取材をしたことは、大きな転換点になった。手短に言うと、自分はサブカルチャーのライターであるという自意識を捨てた。結果、自分がJ-POPのメインストリームでも通用することを知る。

そもそも、私はなぜ文章を書き続けているのだろうか。鬱屈を抱えた会社員生活を送っていた1995年か1996年、鶴見済さんの「無気力製造工場」を読み、その世間に悪態をつきまくるかのような姿勢に触発され、私も文章を書いてみたいと思った。そんなところにWindows 95が発売され、私は初めてパソコンを買うことになる。もちろんインターネットに接続するために。そこには自由に文章を書ける場があった。

四半世紀以上が経ち、インターネットにシャングリラを見ることはとうになくなった。ただただ、年数の重みによって歪んでしまった来歴を振り返っている。過去への執着はそれほどまでに強い。過去は歪曲とともにいつでも美しいからだ。

書くことへの執着はいまだに強く、ライターとしての自負もある。しかし、なんとか生きながらえても、満足に書けるのは、あと10年だろう。いや、そんなに書けるだろうか。時間は限られている。

物故した友人たちもいる。50歳の誕生日は、私に残された時間について考えている。

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