Tumaさんが納骨された墓を見て、元研究員たちが驚きの声を上げている。何事かと見ると、墓誌、つまり故人の名が彫られた墓石に、「田中田田田・ツマパイ」と彫られていたのだ。
2022年8月28日、5月に急逝したTumaさんが納骨された。それに合わせて、元研究員(第1期BiSの研究員)による墓参りを、おすぎが企画してくれた。そして当日に集まったのは、「納骨後だから」とスーツの者、「墓参りだから」とラフな格好な者など、傍から見ると何の集団か皆目見当がつかない30人だった。
その不審な集団が、Tumaさんのお母様をはじめとするご遺族にも会うことになった。茶割りの缶や菓子類などを30人分も用意していただくなど、大変に気を遣っていただいた。こんなよくわからない集団なのに。
そして私たちは、霊園の田中家の墓誌に、「田中友二」という本名の横に「田中田田田・ツマパイ」と彫られているのを見ることになった。こうしてTumaさんは、実生活の田中友二と、アイドル現場とインターネット上の人格である田中田田田/Tumapaiがひとつになった形で眠ることになった。茶目っ気に満ちていて、気丈に振る舞われるお母様のご配慮であると同時に、自身が何をしているのかを家では多くは語らなかったという息子への愛情を強烈に感じた瞬間でもあった。
Tumaさんは、お母様にギュウゾウさんの手伝いをしていることぐらいしか話していなかったそうで、お母様はTumaさんの死後に初めてインターネット上に遺された息子の膨大な情報を目にしたという。そして、お兄さんのご家族や妹さんのご家族も、Tumaさんがどういう人だったかを知りたがっている、と聞かされたのだが、そもそも私たちはお兄さんや妹さんの存在も知らなかったのだ。
ただ、ごく一部の者は、Tumaさんのお父様が年初に亡くなったことを知っていた。私がそれを聞いたのは、Tumaさんの死後だ。それゆえに、お母様が背負う悲しみの大きさに思いを馳せた。墓誌に刻まれたお父様の亡くなった日は、2022年1月22日だった。
30人が一気に線香を上げたりしたので、墓の一帯が煙に包まれ、「納骨したらすぐ炎上している」と私たちは笑った。霊園には、蝉をはじめとする虫の鳴き声が響き渡っていたが、夜には深い静謐が訪れることだろう。あんなにうるさい場所が好きだったTumaさんが、ずいぶん静かな場所に来てしまった。
ご家族が帰られるとのことで、元研究員と記念に写真を撮ることになった。元研究員は「組閣を撮るぞ」と言うと即座に階段に並ぶのだが、ご家族には不思議な光景だっただろう。ご家族と元研究員の写真を撮るという大役を私が果たすことになり、ご家族が帰られた後、がすぴ〜が元研究員だけの写真も撮ってくれた。みんな神妙な表情になってしまうので、あえて笑顔の写真も撮ることにした。ふだんなら、わざわざこんなことを意識することもないのだ。
そういえばTumaさんは、姪っ子さんをアイドルにしようとはしなかったのだな……ともふと思った。きっと、お父様の死後、世帯主としての顔も彼にはあったのだ。いや、Tumaさんが世帯主だった話も、ついさっき知ったのだが。人には様々な顔がある。Tumaさんという人物について、ご家族と元研究員でなんとかすり合わせることができ、驚きの多かった3か月だった。今となっては、あちらでTumaさんが再会しているであろうお父様とはどんな人物なのか、どうにも気になるのだ。