便器の男

2013年5月26日、BiSにテンテンコが新メンバーのひとりとして加入した。当時、テンテンコは秋葉原ディアステージで働いていたので、そこでの彼女のファン、いわゆる「点胡界隈」が、BiSのファンである「研究員」に合流することになった。そのなかで、としまるはたしか一番年上であり、ソフトな語り口の紳士という印象だった。

そのとしまるが、ある日から突然、実寸大の便器を自作し、前掛けのように装着して現場に現れるようになったのだ。研究員になってしまったばかりに。いや、研究員になったことで、何かから解放されたかのように。

こうした事実だけを書くと、突然頭がおかしくなったかのようなので補足したほうがいいだろう。ある日の下北沢シェルターでのBiSのライヴの前、楽屋のトイレのドアが壊れ、テンテンコが中に閉じ込められるという事件が発生した。そのことに胸を痛めたとしまるが、便器とともに現れるようになった……という経緯なのだが、いや、経緯を書いてもおかしいな。

常に明るいキャラクターのとしまるは、便器を装着しているという突き抜けたファッション(?)のまま、2014年7月8日の第1期BiS解散までを駆け抜けた。間違いなくBiS現場のポップアイコンのひとりだったのだ。そもそも目立ちすぎる。としまるが両手を開くと、蓋が開く仕掛けも実装されていた。

テンテンコ加入後、としまるの活躍はすぐに脚光を浴びることになった。BiSの2013年のシングル曲「DiE」の終盤になると、意識を失ったていのとしまるが便器姿でリフトされ、やはりリフトされたがすぴ~が人工呼吸をすることで蘇生する……という流れが披露されるのが恒例だったからだ。なかでも、ミチバヤシリオの脱退ライヴとなった、2013年9月22日の「おながわ秋刀魚収獲祭2013」での「DiE」は、よくわからない感動を呼び起こす光景として研究員に記憶されている。

第1期BiS解散後も、としまるはたまに再発盤のように便器を自作していた。器用すぎる。

最近のとしまるは、すっかりアイドル現場からは遠ざかり、ロードバイクとアナログレコードの人になっていた。彼の命を奪うことになる病気を抱えていたことなど、まったく想像させないほど元気だった。訃報がもたらされたのは、2023年5月7日。結果的に、2022年9月17日の「ヤブ医者ごまかせNight Vol.9」に来てくれたときが、生前のとしまるに会った最後の日となってしまった。

としまるがレコードを聴く環境は、私の部屋よりもはるかに整備されていた。コロナ禍前なら、としまるのレコードのコレクションを私がすべて買い取ることをご遺族に申し出ていたかもしれない。しかし、私も50歳となり、それが遺品のレコードを保存する最良の術とは思えなくなってしまった。私にどれほどの時間が残されているというのだろう。としまるは51歳、私よりひとつ年上だった。

私はアイドル現場以外でのとしまるを知らない。いろいろな顔があったと思うが、第1期BiS現場は雰囲気が重くなる時期もあり、そんなときはとしまるの身体を張ったユーモアの輝きに救われていたことも多々あったのだ。最近たまに思いだすのだけれど、としまるも含めて、アイドル現場の中でBiSの研究員って一番面白かったよね。