精神をインターネットに置いてはいけない、パンに込めるべき

「宗像さんは、その理解力と解像度でたくさんの女の子を救わないといけないので、ひとりにかまけている時間なんてないです」と育実に突然断言されて、イタリアンの店で私はパンをアヒージョに浸したまま、気が遠くなった。では、私自身はどうやったら救われるの?

日差しが初夏の鋭さをはらみはじめた2024年5月下旬、明治神宮外苑いちょう並木で育実と私は待ちあわせた。育実は最近パン屋で働きはじめて、朝5時起きの生活をしている。この日は、店のパンを買って私のためにプレゼントしてくれて、「店のパンが好きすぎて給料をパンにしちゃう」と笑っていた。大丈夫なのだろうか。

明治神宮外苑いちょう並木は侃侃諤諤の場所ながら、昼過ぎは人も少ない。いちょう並木を織りなす色濃い緑の葉、並木道にまだらに落ちる陽の光と、育実はごく自然に拮抗していた。生命力がある。生命力の衰えてきた私は、「育実は立ってるだけで『るるぶ』みたいだよ」と言っていたのだが、例えが古いかもしれない。口を開いている間の育実は、いつもわりととんでもないことを言っていて、それを私はいつも心地良く聞いているのだが、それは写真には写らない。写真の良いところだ。

にこにこパークの前の自動販売機で育実はアイスを買い、それを写真の小道具にしながら私たちは聖徳記念絵画館に向う。明治大喪儀葬場殿趾碑の立つ大樹の横を過ぎて道路に戻れば、育実の背後に見えるのは国立競技場。東京オリンピックの記憶はどうにも禍々しい。この一帯には、圧壊しそうなほどの歴史の蓄積を感じる。

シェイクシャック外苑いちょう並木店の横の道路で撮った写真が私のお気に入りで、「こんな子が大学にいたらサークルクラッシャーになるよ」と言うと、育実は「大学行ってなくて良かった」と笑っていたが、そういう問題でもない気がする。でも、自覚がないからこそファムファタール体質なんだよな。

イタリアンを食べ終わった夜、ここから渋谷駅までは歩けるのかと育実が聞くので、私たちは人と自動車の行き交う国道246号を歩いた。中身がエイベックスからパソナに入れ替わったパソナスクエアを横目に歩き続けると、表参道駅に出る。そこに2台ある石灯籠は、終戦直前の山の手空襲の地獄の炎に耐えて今に残る。台座の欠けた部分は、空襲の際に焼けて欠けたと伝えられているのだが、そういう話に育実が異様に食いついてきたので少々慄いた。かつて戦争の体験談を読み漁ったというのだが、なんでだよ。

国連大学の隣は、一度閉鎖したものの、また利用が再開されるというこどもの城。今はまだ仰々しく壁に囲まれているので、岡本太郎によるオブジェ「こどもの樹」だけ見ることができ、岡本太郎が好きな育実とオブジェのツーショットを撮る。そこから宮益坂を下りれば渋谷駅で、渋谷駅前の宮益坂下交差点で11枚だけ写真を撮ったのだが、その1枚が結果的に一番早く育実のXに載ることになった。夜の渋谷の喧騒は写真には写らない。それも写真の良いところだ。

それからしばらく経った2024年5月31日、私の著書『大森靖子ライブクロニクル』の刊行記念イベントが渋谷LOFT9で開催され、育実が私の手伝いに来てくれたのだが、大森靖子さんが育実のことを知っているという劇的な展開が発生した。さすがXとInstagramとTikTokのフォロワーが23万人いる女は違うな、と感じた一件だ。

そんなことがありつつ、育実は今日も朝5時に起きてパン屋に働きにいく。フォロワーが23万人いても、インフルエンサーになることはない。人に影響を与えたいのではなく、自分の表現をしたいだけの人だからだ。そもそも精神がインターネット上にない。育実の年代で何かしら表に出ている人としては、驚きに値するタイプだ。異様に地に足が着いている。

育実のパン屋の仕事は昼には終わるので、午後にTikTok LIVEをしながら飲酒をして酔っぱらい、そのまま寝ている姿を配信していることもあった。その程度の失態があると、逆に安心するし、精神はインターネットに置かずに、育実がこねるパンに込めておいてほしい。

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