4ADとホイットニー・ヒューストン

邪悪さんと初めて会ったのは、2015年6月7日だった。この日は、WACK所属のBiSHとPOP(現GANG PARADE)による200キロ駅伝マラソンのゴールの日であり、当時WACKが事務所をかまえていた道玄坂の一角は、BiSHとPOPのゴールを見守るために多数のファンが詰めかけていた。

そのなかでも、ひときわ見た目が恐かったのが邪悪さんである。サングラスにタトゥーだらけの腕。WACKのファンも幅広くなったものだな……と雑に結論付けていたが、後に聞くと邪悪さんはBiS階段(BiSと非常階段によるコラボユニット)を見ていたらしい。

2014年に第1期BiSが解散し、2015年にBiSHが始動するなか、第1期BiSの研究員(BiSファンの総称)がおやすみホログラムに流れるという、後世からすると理解が難しいかもしれない現象も起きていた。そして、当時勢いに乗っていたおやすみホログラムの現場で、邪悪さんと私はしょっちゅう顔を合わせる仲になる。強面なルックスとは裏腹に、実の気のいい人だった。

邪悪さんは「DJ邪悪」としてDJ活動もしていて、電気グルーヴの石野卓球とのTwitterでのやりとりからも、その実績がうかがえた。しかし、私の前での邪悪さんは、いつもおやすみホログラム、TOROiの八月ちゃん推しだった。大仰に言えば、邪悪さんのような人でもアイドルにハマる、というのは2010年代的な現象でもあったと思う。

おやすみホログラムがフジパシフィックに移籍してから、私は以前のような頻度では現場に行かなくなったものの、邪悪さんとはちょこちょこ顔を合わせていて、最後に会ったのは2024年7月8日。そう、第1期BiS再結成の日である。邪悪さんが声を掛けてくれて、いつものように路上で雑談をしたのだが、まさか最後になるなどと想像できるはずがない。

会ってから11日後の2024年7月19日未明、邪悪さんがこの世を去った。午後に訃報が届いた瞬間、私はZoom会議中で、何も言わずに自分の顔の表示をオフにした。友人の訃報が届くと、いつも自分の置かれている状況が現実なのかわからなくなる。信じたくないという願望が生む防御反応なのだと思う。

最近の邪悪さんが健康に気を遣った食生活をしていることはXへの投稿でも明らかだったが、訃報を受けて邪悪さんの家に行ったながちゃんによると、出勤の途中の自転車で倒れたという。死というのは油断も隙もない。そして、急逝の5か月前の2024年2月21日に、邪悪さんは葬式に流してほしいアーティストを決めていた。マイケル・ナイマン、ポーティスヘッド、ディス・モータル・コイル、デッド・カン・ダンス。邪悪さん、4ADが好きだったんだなぁ。そして、邪悪さんが2021年頃から葬式の音楽について具体的な投稿をしていたことに気づいた。葬式でホイットニー・ヒューストンを流すのはNGらしい。メジャーなものに背を向けていたのは邪悪さんらしい美学だ。

掲載した写真2枚は、初めて会った2015年6月7日のものだ。2枚とも左端に邪悪さんがいる。ガラが悪すぎるだろ。そして、2枚目の左にいるふたり――邪悪さんととしまる――がともにこの世を去ってしまった。心の中で折り合いがつくはずもなく、ボーッと邪悪さんの過去の投稿を見ていると、我々のTwitterでの最後の会話が坂本龍一の遺作『12』についてだったことに気づく。邪悪さんまでそっちに行ってどうするのよ。音楽談義の続きは、もうちょっと待っていてね。