写真はMasayoさんに撮っていただいたもの。
2024年4月3日に発売された『大森靖子ライブクロニクル』のリリースイベントは、東京と大阪で計4回開催された。そのうち3回が、大森靖子さんと私のトークイベント。2013年から10年以上インタビューをしてきたのに、大森靖子さんと私が人前で話すのは今回が初めてのことだった。これまではかたくなにそうした光景を明かさなかった……というわけではなく、ただ機会がなかったのだ。
まず、2024年5月31日に昼夜二部制でLOFT9 Shibuyaでトークイベントが開催された。平日である。とはいえ版元のblueprintの松田広宣さんがせっかくセッティングしてくれたイベントだ。しかも、昼の部から多くの方にご来場いただいた。二宮ユーキさんが用意してくれた映像とともに、大森靖子さんの10年間の活動を、昼の部と夜の部でそれぞれ5年ずつ話す予定が、昼の部は3年しか進まず、夜の部で7年分話すことになったのは、もちろん私の采配ミスだ。堂々と言うことでもないが。
昼の部の開演前、楽屋で大森靖子さんに「このイベントはZOCの荼緒あいみさんに見てもらいたかった」と話したところ、その場で大森靖子さんが荼緒あいみさんに電話をして、数十分後に本人が現われるスピード感には驚いた。フットワークが軽すぎる。この日、大森靖子さんのTikTokにアップロード予定の動画が1本あり、それをイベント中に荼緒あいみさんが編集してくれたので、彼女の影の活躍によってイベントが成功したとも言える。
昼の部には、『大森靖子ライブクロニクル』の写真を撮り続けてきたMasayoさんも来てくれた。Masayoさんと私の会話にはグルーヴがあると大森靖子さんに指摘されたので、Masayoさんにも壇上に上がってほしいぐらいだった。東京でも大阪でも話したが、『大森靖子ライブクロニクル』は、大森靖子さんとMasayoさんと私のトライアングルが10年以上、崩れなかったがゆえに誕生した書籍である。
大森靖子さんはトーク中、終始、圧倒的な頭の回転の速さだったので、私はそれに取り残されないようにしていた。トークライヴであってもライヴはライヴ。舞台での大森靖子さんを、私はライヴレポートに記録してきたわけだが、その大森靖子さんと同じ舞台に立てたのは光栄の至りだった。
トークが終わると、ファンの方が大森靖子さんとチェキを撮り、大森靖子さんがファンの方に『大森靖子ライブクロニクル』を手渡す流れがあり、チェキ撮影の際に呼ばれると私が入るというオプション(?)もあった。そこそこ呼んでいただいてありがたい。
私との写真は無銭でいいので、希望者はお渡し会後に向かいの駐車場へ来てほしい……とイベントで言い、手伝いで育実にも来てもらっていたのだが、昼の部の後は旧知のKeiさんひとり。夜の部でそれを話したところ、大内ライダーさんを含む十数人が来てくれた。みなさんのボランティア精神に感謝したいし、いろいろすみません。
2024年6月8日には、梅田Lateralで昼からトークイベントを行った。その前日の6月7日から私は大阪に行き、yogibo META VALLEYでの『大森靖子アルティメット自由字架ツアー 2024』大阪公演を見ることにした。その公演前に、友人のかっちゃんに約20年ぶりに会った。約20年ぶりと書いているのは、前回会ったのがいつなのか正確にはわからないほど昔だからだ。最近はこういう再会が多い。かっちゃんはアクリル職人で、「HOTEL宗像」と刻印されたホテルキー風キーホルダーまでくれた。部屋番号は715。私の誕生日というのが粋だ。
かっちゃんの友人のめがぱんさんと3人でyogibo META VALLEYへ向かうと、ソールドアウトしている会場に入ってくるファンの方々の若さに驚いた。8割程度が、10代から20代にかけての若い女の子だ。「VOID」でのファンの声が若い。「絶対彼女」では、「処女」「おっさん」など指定してファンに歌わせるパートがあるのだが、この日は「おっさん」が少数派だった。現場の変化に衝撃を受けつつ昂揚した。終演後はKeiさんとしなもんと沖縄料理屋へ。
そして翌日は梅田Lateralでのトークイベント。10年分の話を、なんとか、なんとか2時間強に詰められた気がする。予約していた新幹線を、30分程度遅らせるぐらいでなんとかなった。壇上の演者に料理の差し入れができるシステムを使い、私にまで差し入れてくれる方もいた。ありがたすぎて、差し入れた方の名前が記された用紙をその場で撮ったほどだ。ファンの方々が感想やチェキをSNSに載せてくれたのも嬉しかった。
こうして関係各位のご尽力によって、『大森靖子ライブクロニクル』のトークイベント全3回は無事に終了した。その後、書籍のこと以外で大森靖子さんのファンの方とDMでやり取りする機会もあり、そのたびに言葉の重みに震える想いだった。ファンの方々のそれぞれの人生を受けとめる大森靖子さんの凄味を感じた日々だったし、ご一緒できて光栄だった。改めて大森靖子さん、Masayoさん、関係者のみなさん、ファンの方々に深く感謝したい。本当にありがとうございました。