8月の終わり、自宅のエアコン2台が突然稼働しなくなった。死活問題とはこのことだ。リモコンで操作しても、1台は吹き出し口が不穏な開閉を繰り返すのみで、もう1台は開きすらしない。少しだけ涼しくなった時期で良かった……と思ったものの、実際にはまだ気温は30度を越えている。35度以上の酷暑の日々が続いて、完全に感覚がおかしくなっているだけだ。
これでは日常生活がままならない。慌ててエアコンのメーカーに修理を申し込み、故障の翌日には修理の人が来てくれた。しかし、エアコン2台を支えていた室外機が壊れており、古い製品なので修理するにも部品がないとのこと。いつだって甘い夢は淡く消え去る。「修理されてすぐにエアコンが復活する」という期待は、台風10号のもたらす激しい雨とともに流れ去っていった。
修理の人を玄関で見送り、そのまま私も家を出た。そう、家電量販店に駆け込むためだ。店員さんが購入後のエアコン設置のためにいろいろ手配をしてくれ、故障3日目には家電量販店の人が現状の確認のために家に来てくれた。という流れで、このブログを書いている現段階(故障4日目)では、まだ新しいエアコンを設置できていない。ゆえに、このブログは、まだ稼働しているエアコンがある薄暗い部屋に身を寄せて、暑さに怯えながら書いている。
人生とは、日常生活のなかで「これが急に壊れると困るな……」と考えたものから壊れるらしい。というか、修理の人は「よく動いていたと思います」と話していた。必然らしい。私たちは必然と偶然の間の曖昧な運に身を任せて生きている。残りのエアコンまで壊れたらどうしよう。
こうして2024年8月は、良い意味でも悪い意味でも、意外なことがあるものだと感じる機会があった。悪い意味のほうはエアコン故障だが。
8月の日中の強烈な陽射しは、脳内の血液を沸騰させるかのようで、頭の動きが鈍る。目の前の出来事のすべてが陽炎のようい揺らいで見える。8月が大好きだと若い友人が笑顔で言うのを、私は力のない目で見ていた。おそらく、夏を楽しめるかどうかは、生命のエネルギー量に比例する。こちらの多寡は言うまでもないだろう。
そんなわけで、私は8月の31日間のうち20日間は家から一歩も出なかった。極端すぎる。しかし、セブンイレブンの「7NOW」というアプリで宅配をしてもらえば、何日でも自宅で過ごせる。そんな日々を過ごしていたら、最後の最後でエアコン故障で追い込まれた8月だった。今はただただ、暑さが怖い。