2024年12月半ば、鈴木えまと、クリスマスっぽい写真を神宮外苑のクリスマス・マーケットで撮ろうという話になった。私が一足先に現地に着き、明治神宮外苑いちょう並木を歩いていると、そこかしこで若者がTikTokを撮っていて油断も隙もない。誰もが神宮外苑で映えようとしていて、私まで巻き込まれて映えてしまいそうだ。
えまが来たところ、クリスマス・マーケットに入場しなくても、周囲にクリスマスっぽいイルミネーションがあると言う。そういうわけで、近くの商業施設のようなところで、無銭クリスマス・マーケット撮影をした。このえまのコートの下がパジャマだとは誰も気づかないだろう。
そういうところは相変わらずなのだが、えまがビジネスに覚醒していたことには度肝を抜かれた。すでに発表されているように、コンカフェ「Chairry -幸せを運ぶ猫-」のプロデュースをしたり、台湾版コミケの「Fancy Frontier」に参加するために撮影をしたりと、今後の仕事の話をいろいろと聞いて驚いた。しかも、コンカフェのプロデューサーとして面接までしていると言うのだ。え、えまが面接……?
えまが在籍していた白キャンこと真っ白なキャンバスに初めて取材したのは2018年6月のことで、そこから6年半の歳月が流れていた。当時インタビューの場で話を聞こうとすると、ぎこちなく、言葉少なに、小声で話していたえまが、大きく変わっていた。
2024年11月4日に白キャンが解散したとき、私は現場で勝手に慌ただしく過ごしていたのだが、あれで良かったのだと思う。2025年1月4日、5日にでんぱ組.incの「エンディング」、つまり解散のライヴを見終えたとき、いろいろと胸に渦巻くものがあり、もし白キャンの解散ライヴも普通に見ていたら、耐えられなかっただろうと感じたのだ。
変化することが難しくなった大人にとっては、感傷に浸ることは甘露のようなものだが、現在に戻ってこられなくなる予感がして恐い。過去への感傷は麻薬。一度感傷に浸ったら私は終わり、という確信がある。自分自身から感傷を奪うため、白キャンの解散後、私は新著『BiS研究員 IDOLファンたちの狂騒録』の執筆に没頭して、22日間で105,888字を書き上げた。その結果、頭がおかしくなったまま後遺症が残り、2024年12月のえまの写真を載せるのが2025年2月になってしまった。後遺症が残るのは、老いた自分自身に強い強い刺激を与えないと動けなくなったからだ。たとえば単著の執筆である。
『BiS研究員 IDOLファンたちの狂騒録』は、過去の出来事を記録しつつ、私たちの小さなコミュニティの現在を照らしだす構造にしたつもりだが、判断は読者に任せたい。えまたちもそれぞれに新しい道を歩んでいくのだろうから、それに取り残されないように私も動き続けていたい。そう、それを遠くから見守る……というような境地にまだ辿り着けていない自分が嫌なのだ。
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