1ページ目で私の精神はメルトダウン

久しぶりに育実に顔を合わせると、彼女は即座に、奥の部屋にあるノートをすべて読め、しかも椅子に座ってちゃんと読めと言い出した。2025年4月26日、高円寺GALLERY「SUMMER of LOVE」で開催されていた展示「がーるず ぴゅあ えろしー」でのことである。

この「がーるず ぴゅあ えろしー」は、2025年4月25日から27日にかけて開催された展示で、作家は育実、葵、美の隷、小椋明。美の隷さんだけは初対面で、「美の奴隷さん」と呼んでしまった非礼をこの場を借りてお詫びたい。

土曜日の午後、会場には20代と思われる若い男女が溢れんばかりで、育実に渡された「招待客」というネックストラップをかけた私はまるで不審者だった。「立錐の余地もない」という表現があるが、本当に会場は立錐が精一杯という状態で、しばらく私は会場の外で人が減るのを待っていたが、むしろどんどん人が来る。育実たちの求心力に感心しながら、雲行きの怪しい空のもと、私は会場の外に立ち続けていた。ネックストラップをかけて。

展示されている写真はSNSでも一部が公開されていたが、会場にはその全貌があった。育実がプールの中に沈んでいる写真は、撮影した美の隷さんによると2時間もかけたものだという。過酷な撮影だっただろうに、写真の育実は淡く儚い。育実がタイに行った際、現地のプールで葵さんが撮影した写真は、その水と肌の質感も含めて圧倒されるものがあった。真似できねぇ。

2024年の真夏に初めて会ったとき、小椋ちゃんは日焼けした少年のようだったが、そんな雰囲気が消えていることが、半年以上の歳月が過ぎたことを私に教える。小椋ちゃんの展示を長時間、熱心に見ている女の子がいたが、それもそのはずで、写真とともに細かな文字による文章も添えられており、論文をダウンロードできるQRコードまで用意されていた。私も顔を壁に近づけて文章を読んだが、それは老眼のせいでもある。

混みあう会場の中で、「ずっとSNSで見ていて……」と育実に話す女の子の声が聞こえてくる。オフラインに現れた育実たちに会うために多くの人が詰めかけているのは明らかだったし、そうした人々から滲む切実さや喜びも肌で感じた。私が場違いであることとともに。

会場で育実と私が話していると、彼女と話したそうにしている女の子の熱い視線を感じて、そのたび私は会話を切り上げた。憧れの人に話しかけたいけれど話しかけられないもどかしさは、昔の私も抱えていたのでわかるつもりだし、そんな奥ゆかしさがすでに消滅した私ではあるが、せめて邪魔にならないようにしたい。

ZINEも売られていたので、育実の「がーるず ぴゅあ えろしー」、小椋ちゃんの「夜明け前、君の鼻歌」も買い求めた。ふたりともnoteを開設しているのだが、ZINEに本体があるように感じられて、「ここにいたんだ」とすら感じた。「がーるず ぴゅあ えろしー」と「夜明け前、君の鼻歌」を読むと、思春期にすでにSNSが蔓延していた世代の感覚が刻まれているように感じる。「中二病」という言葉に象徴されるような、本来ならば自分の内面に沈みこみ、陶酔していていいはずの時間を奪われて、10代から他者評価に晒されて、どこかの誰かとの比較を余儀なくされてしまう今の時代が酷ではないはずがない。

そして、育実と小椋ちゃんはそれぞれに自身の独善性に厳しい視線を向けており、ナルシシズムの拒絶、自己と他者との境界への明確な意識とそれにともなう葛藤が、育実と小椋ちゃんの友情のベースにあるのではないかと感じたが、さてどうなのだろう。育実と小椋ちゃんと同じ年代だった頃の私は、彼女たちのようなことを何も考えていない間抜けだった。なんとその時代にはまだなかったのだ、インターネットが。

さて、奥の部屋のノートだ。今回の展示中、会場には一冊のノートが置かれていた。展示の制作期間に作家陣が匿名で書いた日記だという。机の上にはミラーボール、写真、化粧品、キャンドル、そして来訪者が書きこむためのペンなどが乱雑に、しかし計画的に置かれていた。育実に椅子に座って全部読めと言われた手前、観念してその通りにすることにした。すると1ページ目に、女の子の心の揺れ動きと中年男性の叫びの相似性を指摘する旨の文章があり、その段階で早くも私の精神はメルトダウン。しかし、誰がどこを書いたのかわからない日記はまだまだ続くのだ。

ノートを読み終えて、育実のお望み通り、私の心がしっかりと壊滅したことを告げると、彼女たちは「呪物だもんね」「濃縮された悪口だもんね」と楽しそうに笑っていた。間違いなく特級呪物だろ。しかし、そういうものこそ私は読みたいので、育実のはからいに感謝した。会場の外では、まるで私の心をスキャンしたかのようにゲリラ豪雨が降り注いでいて、いつ止むのかは会場の誰にもわからないままだった。