桜が咲いている日々は、私が孤独であることをこれでもかと念押しして伝えてくるので、別に嫌いな花ではないが勘弁してほしい。この街には桜が多い。桜が咲き誇る川辺には家族連れなどが溢れていて、周囲の人々の笑い声のなか、一眼レフで憑りつかれたかのように桜を撮り続ける私が異端の者として浮いてしまう。勘弁してほしい。
引きや寄りで撮る桜、水面を流れる桜の花びら、その中を泳ぐ鴨たち、周囲の建築物とのコントラスト。桜の撮り方は、どう考えてもとうに出尽くしているはずだ。なのに、桜の花には中毒性がある。その中でも目を引いたのは、枝がなく、丸太のような桜の木から咲く花だった。新たに植えられた桜なのか、手入れの結果、枝を切られた桜なのか、私には判断ができない。
ここでいう桜とは、いわずもがなソメイヨシノを指している。全国のソメイヨシノは、もともとは一本の原木から生まれたクローンであり、接ぎ木でしか増えないという。日本の春の象徴とみなされるソメイヨシノだが、開発されたのは江戸時代後期と最近の話で、実は誕生から200年程度らしい。私たちが伝統とみなすものの歴史は意外と浅い。
ソメイヨシノが全国に一気に植えられたのは、日本の高度経済成長期だという。ソメイヨシノの寿命は、多くは60年から80年で、1950年代から1970年代にかけて植えられたソメイヨシノは、そろそろ寿命を迎えつつあるという。日本の経済的衰退とともに。それはそれで美しいかもしれない。
ソメイヨシノは病気に弱いため、公益財団法人日本花の会による販売は2009年に終了しているというのも最近知った話だ。前述の丸太のような桜の木を、私はソメイヨシノだと認識していたが、新たに植えられたものなら別種なのかもしれない。私のソメイヨシノへの認識もはなはだ怪しい。
2024年4月に育実の写真を新宿御苑で撮ったとき、外国人観光客はソメイヨシノではなく、もっとピンク色の強い桜を撮っていたことも思い出す。桜も世代交代で映えの時代になるのだろうか。それは嫌だな。
白く、それでいて淡いピンクをまとうソメイヨシノは、咲く期間の短さとあいまって、撮る側の精神を狂わせる。無限に撮れてしまう。この写真を撮った日も、ライヴに行く途中なのに撮り続けて、開演の20分前になんとか滑り込んだ。春の陽気のせいでおかしくなって遅刻をするのは避けたい。
私の父はAndroidを使っており、80代の人間にGoogleアカウントの設定は難しいと思われるので、便宜上、私のアカウントを設定している。Googleフォトはログアウトして使わせているのだが、ときどきログインしてしまい、「おまえの写真が出てくる」と文句の電話が来る。そのたびに実家に行ってログアウトさせるのだが、ログインしたタイミングで、父が桜と撮った写真が私のGoogleフォトに追加されていた。最近の父は足腰が弱くなり、歩行器で散歩をしている。父、歩行器、川辺、満開の桜。こう見ると、桜の季節も悪くないものだとしみじみと感じる。もしかしたら、それはソメイヨシノではないのかもしれないけれど。
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