酒にもイデオロギーにも陰謀論にも酩酊できない

ビターな日々が続いた10月は、顔をしかめながら舌の上で苦みを転がし続けているかのようだった。ある作業の締め切りに追われていたので、2023年10月17日の「なげき生誕2023」で、今月外出するのがようやく7回目。あとは自宅にこもる生活が続いた。

かなり早く秋葉原に着いたので、岸田メルさん×古関れんさんプロデュースのコンカフェ・IDOLYで1時間ほど過ごした。これは時間が余ったので、やむなくである。チェキは2枚しか撮っていない。そのうち1枚は店長と撮ったのだが、3年前まで何度か取材していた人で、IDOLYの店長になっているとはまったく知らなかったので、店内で見かけた瞬間に数秒ほど硬直してしまった。先方にとって、これが良い再会なのかどうかは恐くて聞けなかった。

19時を前にして、会場のやきとん元気電気街口店に行ったところ、外に「受付」という紙が貼られたテーブルがポツンと置かれているだけで誰もいない。そこに来たがすぴ〜に、20時開始だと教えられて、集まってきたやじ、えりぴょん、ヤマタツ、しょーたんぺ、いけっち、まっしゅとコンビニ前で過ごす。ばくもんも来たのだが、私のIDOLYでのチェキを見て我慢ならなくなったのか、あっとほぉーむカフェに行ってしまった。

なげきさんは、最近は映画評論家としても活躍している人で、出会ったのは10年ほど前の第1期BiSとでんぱ組.incの現場だった。なげきさんはよくTwitterでも「さびしい」などとツイートしており、男がそうした弱さを吐露できることを、私は逆にうらやましく思っている。昭和生まれの人間に、男性性の呪いはひどく強い。

この日の「なげき生誕2023」に来た人数はなんと74人。その交友範囲の広さゆえに、なげきさんは「本当は元アイドルと結婚していても不思議ではない」と言われてしまう。なげきさんは、その収入(知らないが)と友人の多さゆえに、いわゆる「弱者男性」とは言えない人種だが、そうしたグレーゾーン性に、私がシンパシーを寄せてしまう部分があることも事実である。男性支持率が高くても、なげきさんはまったく嬉しくないと思うが。

異常に白熱したじゃんけん大会もあったが、この日、なげきさんらしい出来事があった。ある表で活躍している人が会場に来ており、私はなげきさんに「今日はなげきさんが主役なのだから、なげきさんよりかっこいい男なんて帰らせろ」と言っていたのだ。私は酒が飲めないので、酔って言ったのではない。むしろ、酒を理由にして誰もかれもが記憶を失くしたと言い訳をしたり、粗暴な言動をしたりするのを、「ずるいな」と内心で毒づきながら、シラフで恨めしく根に持っているのが私なのだ。こちらは日々の絶望と激昂の消化方法を知らず、畳の上で煮えたぎっている類の人間だ。酒にもイデオロギーにも陰謀論にも酩酊できない。だから、ほら、こんな文章を書いている。

しかし、なげきさんは私がどれだけ言っても友人を帰すことはしなかった。こういうところも、私にとってなげきさんの好きなところなので、人間というものはアンビバレントなものだ。なげきさんは他者に心痛を与えることを最大限に拒みながら、誰かが背負うべき心痛を自分で背負ってしまう。そして、そもそも私の発言も無責任すぎる。

毎日のようにインターネット上でさびしがっているなげきさんだが、まだ40代。若い。こちらは、さっきまで話していたえりぴょんの名前を、次の瞬間にド忘れして、周囲に心配される程度には加齢が深刻なのだ。最近は周囲の40代に「まだ若い、なんでもできる」と言い続けている。でも、本当になんとかなるよ。

でんぱ組.inc現場の集合写真でおなじみのジェイメツガーさんに、ブログを読んでいると言われたことも嬉しかった。周囲の仲間の写真は撮り続けていこうと思う。商業的なことを考えたら、どう考えてもないほうがいいブログなのだが。

そういえば、今年の「なげき生誕」には、としまるがいないな……とみんなで話していた。今回の「なげき生誕」は、無銭飲食防止のためにリストバンド制にグレードアップしており、でも無銭での残飯漁りといったらTumaさんだろうとも話していた。

コロナ禍で終電が早くなったので、一足先に帰路につくと、帰りの山手線で隣の席にかわいらしい男の子ふたりがいた。勝手に耳に入ってくる会話は、どう聞いてもメン地下である。そんな普通の声で月収まで言うんじゃないよ。愚痴の通り、たしかに安いけど、でも、きみたちもなんとかなるよ。

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