2023年6月3日、ナグリアイの「memories」という楽曲のMVを公開した。ナグリアイとは第1期BiSの女オタによるグループであり、「memories」は彼女たちが2013年にリリースした唯一のアルバム『ナグリアイ』の収録曲だ。発売から10年を経て、私が突然MVを勝手に制作したので、周囲は私が正気なのかはかりかねたことだろう。私自身もどうかしていると思う。
「memories」はフランクが作詞しており、2023年5月20日の「ヤブ医者ごまかせNight」vol.10で、フランクの結婚祝いとして、ナグリアイとフランクによって歌われた。会場の旧研究員(第1期BiSファンの総称)は、ほぼ泥酔して聴いていない雰囲気だったが。
この10年間、「memories」はほぼ顧みられることもない楽曲だった。リリース当時、メンバーが「何も共感できない」と明言していた不運な楽曲でもあった。ただ、10年後に聴いても、その歌詞は胸を刺す。10年が経ったからこそ、さらに胸を刺す。
広い 遠いあのステージ
僕のことなど見えてないよね
叫ぶサイリウムを折る
レスが来ない心も折れる僕の顔君は覚えている?
何者でもなくなる自分を
認めたくないけど僕はもう
君には映らない
フランクに歌詞の真意は聞いていないが、Perfumeの大ブレイク後に握手会がなくなり、フランクが樫野有香さんと握手ができなくなった時期の慟哭を歌詞にしたものだと私は解釈している。2007年の『ポリリズム』のリリース時はまだ握手ができたが、2008年の『Baby cruising Love/マカロニ』のリリース時には握手会が消滅した――と記憶している。現在のPerfumeの規模からしたら当然のことと思われるだろうが、当時現場にいた人間にとっては、天地開闢以来の大事件だったのだ。
服装 派手にしたんだ
僕のこと知って欲しかった
この歌詞は、Perfumeの武道館公演を見ることなく、2008年の夏に若くして病没したRYOさんのことを描いたのだろう。
「ヤブ医者ごまかせNight」vol.10で「memories」を久しぶりに聴いてから、私の頭の中では「memories」が流れ続け、フランクに歌詞のデータを送ってもらった。そして、2023年6月2日の夕方、私は発作的に動画を作りだし、翌3日になってすぐに完成した。具体的には、「スライドショー 音楽 字幕」と検索しただけなのだが。
数千枚ある第1期BiS現場の写真から、1000枚ほどをフォルダに投げ込み、そこから304枚の写真を使用した。楽曲が304秒なので、1枚1秒と設定して304枚。Windowsにデフォルトでインストールされているフォトというソフトを使用して、あっけないほど簡単に完成した。歌詞のフォントはださいだろうが、とにかく歌詞を強調したいので、むしろこれで良い。
写真は、亡くなったごっちん、Tumaさん、としまるが写っているものを優先した。やはり亡くなったふるぼけたさんの写真を見つけられなかったのは申し訳ない。写真は多すぎるぐらい撮っておくべきだと改めて痛感した。サムネイルには、2012年のHMV大宮での『IDOL』リリースイベントの際の路上の写真を使った。ごっちんとTumaさんが写っているからだ。なぜこんな写真をあのときの私は撮ったのだろう?
このMVは、2011年2月のBiSのライヴ活動開始から、2014年7月のBiS解散までの写真を時系列に並べている。「MV」だと私は主張しているが、要はただそれだけの動画だ。304枚の写真で追うBiSの歴史でもあるのだが、いかんせんほぼすべて私が撮ったものなので「宗像史観」でもある(開始16秒で出てくる、松隈ケンタさんたちSCRAMBLESのみなさん、BiSメンバー、研究員が一緒に写っている珍しい写真は、誰が撮ったのか情報募集中である)。たとえば、私は基本的に関東のライヴしか行かなかったため、地方での写真がほぼない。関東以外の写真は、2012年~2014年の女川町、そして2013年の京都の「ボロフェスタ」のみだ。というか、研究員はなんであんなに遠征できたんだよ。
「memories」のMV公開の1週間前に、私は映像関連の大仕事を終えたところだったが、まるでその反動のように「memories」のMVを作ってしまった。ごくごくパーソナルな動画を作りたかった。現在の私のYouTubeチャンネルを登録している人々には、突然意味不明な動画が表示されたことだろう。人生、こういうこともある。
完成した動画を、私は何度も何度も何度も見返した。一日中見ていた。我ながらおかしな行動だと思う。ただ、鎮痛剤のように、セラピーのように、仲間たちを亡くした衝撃を癒すために見続けていた。まず自分自身がこの動画を切実に必要としていた。稚拙でも良かった。
あまりにも私がBiSの話ばかりするので、2023年6月3日に会った人は、わざわざBiSのTシャツを着て来てくれた。介護に感謝したい。
こうして「memories」のMVに言及することも、別に私にとってプラスにはならないし、なんならマイナスのような気もするが、いや、人生は得になることだけをしていれば足りるというものでもない。損得勘定だけで考えれば、このブログもないほうがいいのかもしれないが、それでも個人的な出来事について書くことを必要としている自分がいる。それでなんとか精神的なバランスを取っている。
第1期BiS現場については、研究員の写真をもっともっと残しておくべきだった。だから、今これから、たくさん周囲の写真を撮り続けていこうと思う。