18時を過ぎてもまだ日が高い7月の中旬、カフェで向かいあうころもてんは、どこか落ち着かない。今こうしている間も、鬱が抜けないのが表情からわかる。彼女は、最近の私を見かねて、わざわざ広末涼子さんのTシャツを着て来てくれたのだが。そもそも、よく持ってるな。
私があまり言葉をかけてないでいると、iPhoneに触れていたころもてんが、自由が丘の盆踊りに行きたいと言いだした。躁転する音が聞こえた気がする。
自由が丘駅前は、ロータリーの広場がそのまま盆踊り会場になっており、大変なにぎわいだった。それもそのはず、コロナ禍で4年ぶりの開催だという。
その人混みを、ころもてんがすいすいとすり抜けていく。まるで盆踊りを初めて見たかのような笑顔で。彼女を追う私は、軽く息切れをする。大量の提灯、櫓、大音量で流れる音頭、そして多くの人々という舞台装置が、ころもてんを昂揚させていく。彼女が日常性から抜けだしたがっていることがわかる。
自由が丘にサザンオールスターズの「希望の轍」が響き渡った。これ、今は音頭のナンバーなんだ? そう戸惑っていると、ころもてんが盆踊りの輪に飛びこんだ。「希望の轍」が2回ループした後に彼女が戻ってくると、広末涼子さんのTシャツには薄い汗染みが浮かびあがっていた。
櫓のMCが、大意として「もっとオールドスクールを流すように言われた」という発言をして、曲が「東京音頭」に変わる。ころもてんと食事をしに行って、21時頃に駅前広場に戻ると、すべてが幻だったかのように提灯は消え、タクシー待ちの人以外は誰もいなくなっていた。
さて、盆踊りをしているころもてんを見ていたら、坂本龍一の「Ballet Mécanique」が頭の中に流れだして止まらなくなった。その場で実際に流れているのは、サザンオールスターズの「希望の轍」なのに。しかも大音量。「Ballet Mécanique」は、坂本龍一の1986年のアルバム『未来派野郎』に収録されていた楽曲だ。矢野顕子による英語の歌詞は、終盤で日本語に変わる。
ボクニワ ハジメト オワリガ アルンダ
コオシテ ナガイ アイダ ソラヲ ミテル
オンガク イツマデモ ツヅク オンガク
オドッテ イル ボクヲ キミワ ミテル
この文章を書くためだけに『未来派野郎』のCDを引っぱりだしてきたのだが、歌詞カードを確認すると、私は「ボク」と「キミ」を逆にして覚えていたことに気づいた。踊っていたのはころもてん、見ていたのは私だから、歌詞とは構図が異なるのだ。かくも現実は、簡単に感傷につけいる隙を与えない。では解散……という感じなのだが、せっかくなので私が「オワリ」について考えていた瞬間の動画をInstagramの最後に載せておく。