街を行き交う人々の誰もが確定申告を前にして沈んだ表情を見せる3月中旬、町田で安藤未知さんのオフ会が開催された。
その日、ひとつ発覚したことがある。それは、私の著書『大森靖子ライブクロニクル』が2024年4月3日に発売されることを、未知さんが把握していないことだった。安藤未知さんと私をつなぐ重要な存在が大森靖子さんである。一世一代の渾身の一撃が、空振りどころか、そもそも視界になかったことに私は気を失いそうになったが、それは未知さんが多忙だったので仕方ない。私は大森靖子さんのXの投稿を見せて、「俺の虚妄じゃないんだよ」とうわごとを言いながら、この現実はすべて私の虚妄なのかもしれないという想いも一瞬脳裏をかすめた。本当はどちらなのだろう。
未知さんは私に興味がない。というか、「みんなに興味があって、みんなに興味がない」とは未知さんがニコニコ生放送の配信でも公言していることだ。それは未知さんがキャラ作りのために奇を衒って言っているのではなく、本当にそういう人であることを私は知っている。そのくせ、私の言うことをなかなか信用しないで、笑顔のままずっと問い詰めてくることもある。未知さんは私を信じない。この日の未知さんは、自分のチェキをiPhoneケースに入れて持ち歩けと私に言いだした。私は「どうしようかなあ」とのらりくらりとかわしていたが、最終的に押しに負けることになった。今、私のiPhoneのケースには、「お守り」と蔦のような細い文字で書かれた呪符のようなチェキが入っている。
未知さんは特異なパーソナリティーの人だ。だからこそ知り合ってから8年の歳月が流れた。会話の断片に過去のいじめの話が出ることもあるが、ひどいいじめを受けていて、そこに未知さんのパーソナリティーの要因を求めてしまう自分もいる。踊り手としての安藤未知とは、感情を表に出せなくなった経験を持つ人間から生みだされた、言葉をともなわない表現形態なのではないか、と。しかし、物事を単純化して安心しようとするのは、ともすれば陰謀論にも通じる下卑た行為だ。私の心の中にも、プロパガンダをまき散らす通信社が潜んでいることにハッとする。
未知さんは表情をコロコロと変えながら町田の街を歩く。不意にカメラを見つめたと思ったら、「睨まれるのが好きかと思った」と言う。ご名答。手に入れたばかりの香水を、町田駅前で頭にまでかけて「どう、どう?」と聞いてくる。
しかし、踊り手の活動の話になると、この世のすべてを呪って巻きこもうとするかのように、異様なほど険しい表情になる場面もあった。そういうときは「ああ、この人は頭がおかしいな」と思うし、そのまま伝えると未知さんは楽しそうに笑う。他人のことなどわからないし、わからないものはわからないままにしておいたほうがいい。そう考えて、未知さんの名古屋遠征を見にいくことにしたのだった。わからないから。
(名古屋編へ続く)