二度と春は来ない、二度と桜は咲かない

二度と春は来ない、二度と桜は咲かない。そう思ったほうが自然なほど、旧共産主義国のようなひどい寒さが3月後半になっても続くなか、私は今年初めて関東から出ることにした。珍しく仕事が小休止となっている間に、安藤未知さんのオフ会とライヴが南国・名古屋で開催されたからだ。実際には名古屋も寒かったのだが。

未知さんは名古屋の直前、「ニコニコ超会議」のステージのソロ出演を賭けた「踊コレ2024春」というイベントに参加していた。昨年の「ニコニコ超会議」に出場できなかったがゆえに張り詰めるほど意気込んでいて、未知さんが満足に寝ていないことは誰に目にも明らかだった。そして、無事に出場権を獲得した数日後にはもう名古屋。コラボ予定だった出演者が参加できなくなるアクシデントもあり、未知さんは相変わらず寝ていなかった。お願いだから寝て。

「踊コレ2024春」の期間の未知さんの発信は、まるでこの世に自身の存在価値を問うかのようであり、見ていて息詰まるものがあった。Xやニコニコ生放送で吐き出される葛藤を受けとめながら、もっと尖っていた10代の頃に比べて、未知さんは自分の心の揺れ動きをちゃんと人に話せるようになったのだなとも感じていた。10代の頃の未知さんは、常にアンビバレンスを抱えながら生きていることが滲み出ていたし、それは今も変わらないのかもしれない。変わったことは、踊りという表現方法を獲得したことだろう。「踊コレ2024春」のエントリー作品「ごめんねごめんね」は、この世界にうまく適合できない自分自身を曝け出すかのような作品だった。

「踊コレ2024春」の結果が出るまでの間、私はもちろん未知さんを応援も心配もしていたが、あまり気持ちを重ねすぎないようにしていた。状況に飲みこまれすぎて、自他の境界線が曖昧になるのは良くない。そして、私がエンタメの仕事をしているがゆえに、応援と心配を本当にしながらも、「このぐらいでへこたれちゃだめよ」と冷静に考えている部分もあったことは、未知さんが一番見抜いていただろう。

こうした話は、特にオフ会で未知さんにはしなかった。言わなくて気づいているだろうし。話題が「最近傷ついたこと」になり、両手を頬に当てながら、満面の笑みを凶悪なほどに浮かべて聞きたがる未知さんに、私は決して一番傷ついたことを話さなかった。話すわけがない。私だって本当は泣いたり叫んだりしたいことを話したら、あなたはとても喜ぶでしょう?

それよりも重大なことがあった。新著『大森靖子ライブクロニクル』のリリースイベントを大森靖子さんとしたほうがいいと未知さんに言われていたところ、本当に2024年5月31日(金)にトークイベントが開催されることになり、私は未知さんに「あなたが言うからこういうことになったのよ!」と言っていた。なお、出版社の担当者が開催に向けて調整してくれただけなので、別に未知さんが言ったからではない。

『大森靖子ライブクロニクル』には、2017年に私が『ユリイカ』の大森靖子さん特集に書いた原稿も再録されており、結果的にそこには大森靖子さんと私、そして未知さんが閉じ込められることになった。どういう形なのか? それは『大森靖子ライブクロニクル』をぜひ手にしてほしい。税込価格8,580円なので気軽に言えるセリフではないのだが。

オフ会の翌日には未知さんが出演するライヴが栄Roxxであった。出演する若者たちの踊りを見ながら、青春だ……と眩しさすら感じた。私は次の所用があり、どうしても13時30分には会場を出なくてはならず、それでも10分近く粘った結果、1本地下鉄を逃していたら帰りの新幹線に乗れないところだった。それでも、未知さんが歌うBiSの「nerve」を聴き逃がすという、第1期BiSの研究員にあるまじき失態を犯してしまったのだ。

しかし、未知さんが「nerve」をまた歌うとXに投稿しているのを見て胸をなでおろした。出会ってからの8年を結びつけてきたのは未知さんの歌なのだし、あの頃、未知さんがよく歌っていた一曲はBiSの「Fly」であることも私はいまだに覚えているのだから。

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