八重桜よりも赤く

「なんでお寺ではお香を焚くの?」

鎌倉の本覚寺の常香炉で、お香に火を点けようとしたとき、安藤未知さんがそんな疑問を口にするので、「そんな『なんでお寺にお参りするの?』みたいな疑問を持たないでよ」と言って、私はガスコンロを点火した。というか、常香炉の上にお香用のガスコンロが置いてあるのかよ。

2024年4月初旬、未知さんのオフ会がなぜか鎌倉で開催され、寒さが3月も続いたせいで桜がまだ咲ききらないなか、私は写真に残せるわずかな春の気配を探した。私たちの「邪」を消すために、常香炉にはお香を立てたほうがいい。本覚寺で、私は未知さんに厄除祈願のお守りを買い与え、自分の分も買ったばかりだった。お互いに「邪」や「厄」が多すぎる。

この日の未知さんは半袖で、常香炉にお香を立てようと彼女が腕を伸ばしたその瞬間、左腕に赤い傷跡が浮かび上がるのを見た。「痛む?」「でも、これは前のだから」。目の色が急に変わった私に、未知さんは興奮した動物をなだめるかのように言う。その傷跡は、皮膚の下に赤いインクを流し込んだかのようで、どこか現実感がない。ただ、その古傷が赤みを帯びるのを見て、私は初めて2024年の春の訪れを実感したのだ。桜はまだ咲くことをためらっている。

その日、鎌倉駅で電車を降りると、周囲は外国人観光客ばかり。日本語、英語、中国語、あるいは何語かもわからない言語で駅構内は賑わう。鶴岡八幡宮への参道は、もはや人が押し込まれているかのようだ。そんな鎌倉で、地元の老婆が杖をついて歩き、高校生たちが笑いながら通り過ぎる。インバウンドが生んだオーバーツーリズムそのもので、非日常と日常が分かちがたく混在しているなか、その誰もが未知さんの傷跡を知らない。

踊り手としての未知さんの活動を私が見続けている最大の理由は、彼女が完全に過去を捨てたからだ。普通はできない。良かれ悪しかれ、人は誰しも過去の延長線上に生きているし、その連関を支える最大の要因は惰性である。それなのに過去を捨て、名を捨て、活動の場を捨てた人の活動を追わない選択肢は私にはなかった。もし未知さんが過去を捨てていなかったら、再び表舞台に表れても、私は遠巻きに見て、そして離れていたはずだ。そんなことを未知さんに言ったことがないのは、私自身が未知さんの過去に紐づいている人間であるという後ろめたさゆえだ。私も変わり続けたいものだ……と考えながら、昨年は3冊の書籍の作業をしていた。私は書くことでしか生きられないし、未知さんは踊ることでしか生きられない。

鎌倉駅から徒歩4分ほどの本覚寺には人も少なく、そこからさらに徒歩3分の妙本寺は、もう森の中のようだ。自然が好きだと喜びながら未知さんが自撮りを始めたので、私は自分の気配を消す。自撮りが終わると未知さんは石段を駆け上がった。妙本寺ではソメイヨシノも八重桜もだいぶ咲いていて、未知さんは桜に両腕を伸ばす。晴天の4月の気温は上がり、腕の傷跡はさらに赤みを増す。八重桜よりも鮮やかだ。

未知さんが生しらす丼を食べたいというので、鶴岡八幡宮への参道の店に入った。未知さんは生しらす丼とサイダー、私は海鮮丼とコーラを頼み、私たちのテーブルだけ海の家のようだ。私の新著『大森靖子ライブクロニクル』を未知さんに渡すと、彼女は過去の自分の名義が載っているページを探して、しばし読みふけった後、私に「すごい人なんだね」と言って照れくさそうに笑った。うん、私は意外と無職じゃないんだよ。

参道の人は増えるばかりで、もうすぐ身動きができなくなりそうだった。汗ばむほどに4月の気温は上がり続け、もうすぐ私たちの話題も尽きることをお互いに予感していた。

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