青空のアヌ

2024年1月、フランスのパリから帰国中のアヌに約8年ぶりに会った。前回会ったのは、記憶する限り2015年9月の六本木のカフェで、当時のアヌは就職活動中でスーツを着ていた。

結局アヌは日本で就職することなく、フランスに旅立った。という一文にまとめると30字弱の話になってしまうのだが、当時の私はあっさり、いや実際には「あさっさり」なのかはわからないが、海外に渡ってしまうアヌの大胆さに感服したものだ。

私は2018年に、IZ*ONEの日本人メンバーの宮脇咲良さん、矢吹奈子さん、本田仁美さんにインタビューをしているが、これはパリ在住のアヌがIZ*ONEを聴いていたことに背中を押されて取材を申し込んだものだった。

時は流れて2023年7月、当時はまだ招待制であったSNS、Blueskyに私は登録した。すると、そこではアヌが基本的に24時間体制で投稿を続けており、日本語のポスト数のランキングでも上位に入るほど投稿をしていた。当時はユーザーも少なく、知的な香りが漂っていたBlueskyだが、私にとってはほぼパリのアヌの日常生活をリアルタイムで見るためのツールと化していった。

2023年の9月から10月にかけて、私は『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』の執筆作業に没頭していた。2か月で本文16万字を書きあげたのだが、一度執筆のモードに入ると、作業が終わるのが朝の5時、6時ということもざらにあった。他のSNSがさすがに静まりかえるなか、Blueskyでだけはアヌが絶え間なく投稿を続けており、夏の朝方、いつもアヌの大量の投稿に孤独を癒される思いだった。アヌ本人からしたら、まったく預かり知らない話だろうが。

今回帰国するということで、東京に来たタイミングでアヌに会うことができた。約8年経っていても、会えばすぐに「ああ、こういう人だったな」と思いだす。アヌが帰国時に帰る実家は大阪で、バリバリの関西人だ。

1月のひどい寒さのなか、アヌは東京は暑いという。今のパリは最高で0度の日もあると言うから、それに比べたらたしかに東京は暑いのだろう。Blueskyでアヌはよくスケスケの服を着ている話を書いているのだが、帰国中も本当にスケスケの服を着ていた。寒くないのか。寒くないんだよな。新宿駅でも暑いから服を脱ぎたいと言っていたし。

アヌに『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』を「あなたの子よ」と言わんばかりに渡せて良かった。また、疎遠になっていた共通の友人の近況もアヌから聞くことができた。物理的な距離というのは絶対的に存在するが、会えさえすれば歳月の流れなどどうというものでもないと感じるし、今もアヌを含めたみんなで行った2014年9月の宮城県女川町の夏の終りの夜を思いだす。みんなで同じ民宿に泊まり、花火を見て、誰も眠らなくて、アヌは酔っぱらいに口説かれ、修学旅行のようだった夜のことを。

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