1996年12月、初めてインターネット上で日記(当時はブログという言葉はなかった)を公開した日の興奮を覚えている。ダイアルアップ接続でSo-netにログインし、World Wide WebにFTPでHTMLファイルを置いただけで、CGIによるカウンターが20も動いたのだ。
「20」など今となっては誤差のような数字だが、自分で何かを発信するには紙しかなかった時代だ(パソコン通信のNIFTY-Serveもあったが、発信というより『投稿』という感覚だった)。仲間と作ったミニコミをコンビニのコピー機で印刷して製本し、人が集まるところで配るしかなかった(コミケやコミティアで売ったのはインターネット以降の記憶がある)。何もしなくても誰かが見に来てくれる、という状況には、大袈裟ではなく世界が変わるかのような昂揚感があった。
あれから24年ほど経った。現在は、有料の設定ができるブログサービスが流行していて、どうにも居心地が悪い。もちろん私もお金は可能な限り欲しいのだが、もっと素朴なインターネットを知っているからだ。1996年に初めて買ったWindows 95のパソコンで、採算を度外視した情熱が渦まくインターネットを見ていたからだ。
そして2020年にコロナ禍となり、週に3、4回は行っていたライヴハウスに足を運ぶこともなくなった。友人たちと食事をすることもなくなり、まったく外食をしなくなくなった。小腹が空いてコンビニに行くようなこともなくなった。リモートワークになり、取材の日以外は基本的に家の外に出ない。宇宙船の中での暮らしのような感覚だ。唯一良かったのは、10キロ以上体重が減ったことで、何年かぶりに健康診断の再検査がなくなった。それ以外はろくなことがない。
家中の掃除をするなど地味な作業をしているうちに、ブログの存在を思いだした。「小心者の杖日記」は2016年4月を最後に更新していない。Movable Typeはなかなか維持が難しい。しかし、利用しているレンタルサーバーのロリポップ!に「WordPress簡単インストール」というメニューがあるのを思いだした。そして生まれたのが、このブログである。
ここ最近は、TwitterやFacebookでは業務の報告しかしないようにしていた(Instagramは迷走して、すでに更新を止めている)。noteは、仕事を列記するだけの場所にした。SNSで無駄口を叩かずに、編集者として、ライターとして、仕事に打ちこむべきだと考えていた。それは正解だったと認識しているが、botのようなSNSとは別に、もう少し自分のパーソナルな領分を、自分の独自ドメインに用意しておく必要がある気がしてきた。FFFTPを起動し、outdex.netに久しぶりに新しいディレクトリを掘り、パーミッションを設定した。
このブログも、多くて年に数回しか更新しないだろう。ただ、その数回は、「今」のインターネットから少しだけ距離を置いて、自分のドメイン以下に記録しておこうと思う。