上海小吃の夜

Tumaさんの新宿BLAZE前広場葬が開催された2022年5月23日、私はカメラを落としてレンズを壊した。こんなことは珍しい。Tumaさんが金目のものをあの世に持って行ったのだろう。

仕方ないので、同じ仕様のキヤノンのレンズ・EF50mm F1.8 STMを買い直した。50mmの単焦点レンズは、私がもっともポートレート撮影に使ってきたレンズなのだ。Amazonお急ぎ便で注文の翌日に届いたが、この時点では特に何も撮影の予定もなかった。

数日後の2022年5月27日、20時ごろにフランクからのLINE通話が鳴った。出ると「新宿の上海小吃で『ヤブ医者ごまかせNight』の打ち合わせをしている、どうしても来てほしいので電話をした」とのことだった。こんなにかしこまったフランクは珍しい。私はすぐに行くと伝えて、GOのアプリで自宅前にタクシーを呼び、それに飛び乗って新宿歌舞伎町へと向かった。

歌舞伎町はコロナ禍の前に戻ったかのような夜職無法地帯だった。そこから数メートルだけ路地に入ったところに上海小吃はあり、その店員同士は中国語で話す。ここだけ中国領なのだろう。

上海小吃には、フランク、がすぴ〜、こしきや、あおいちゃんがおり、後からエイソ、おすぎ、たけしゃんが来た。私たちは2022年6月11日深夜に阿佐ヶ谷ロフトAで開催される「ヤブ医者ごまかせNight」というイベントの打ち合わせをしに集まったはずなのだが、その記憶はまったくない。ただ久しぶりに少人数で飲み食いするのは楽しかった。その頃は、長く続くひどい不条理に悩まされていた時期でもあったからだ。

「ヤブ医者ごまかせNight」は、Tumaさんが出演者やタイムテーブルを、酔って適当に考えていたイベントだった。当日になると、勝手に名を挙げられた連中が自発的に会場に来て、入場料を払って、ステージに出演する。分刻みの乱雑なタイムテーブル通りにイベントを司会進行するのが私の役目だ。そのTumaさんが死んだ今、どう開催するのだろう? チケットはほぼ前売り完売状態らしいのだが。

電車に乗るのが面倒なので、帰路はまたタクシーで帰った。途中まで同乗したこしきやに恐縮されたが、私はとにかく何もかもが面倒くさい時期だった。

タクシーが多摩川を渡る。ふと、Tumaさんと上海小吃で飲むことは二度とないことに気づく。それがいまひとつ理解できない。武蔵小杉のタワマンの明かりが多摩川の水面に映っているのを、ただ眺めていた。

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