何の得にもならないようなブログが人の役に立つこともある

元日の14時過ぎの新宿は、歌舞伎町でも人が少なく、雑居ビルの上の澄んだ青空の存在感のほうが大きかった。人類が滅んだ後の歌舞伎町のようでもあり、トー横キッズが排除されたBLAZE前広場には、なぜか子供が乗るようなおもちゃの自動車が撤去されずに置かれていた。トー横キッズの居場所を潰すために置かれた、ブルーシートに包まれた機材の横には、等間隔でクリスマスツリーが飾られていて悪いジョークのようだ。

夕方から新宿思い出横丁の四文屋に研究員が集合して飲んでいると、建物が大きく揺れた。四文屋だから揺れたのかと思っていると、石川県で震度7だという。もりおのiPhoneに、現地の固定カメラの中継映像が映しだされ、津波警報を受けて走って避難する人々の姿が見えた。四文屋はさらに混んでいく。

四文屋を2時間で追いだされると、我々は新宿めだかに移動した。非常時はSNSでは沈黙したほうがいいんだよ、と私が言うと、誰かが「そういう意味で研究員はひねくれてるよね」と言った。その場にいた研究員の大半が、東日本大震災後の宮城県女川町を訪れていた。

めだかを出て、風林会館前で信号待ちをしていると、地面に何枚ものチェキが落ちているのを発見し、研究員でひとしきり盛りあがる。バンドマンとバンギャのように見えたし、メン地下と女性ファンかもしれない。泥で汚れたチェキは、いかにも歌舞伎町らしかった。

昼間は参拝客でいっぱいだった花園神社も、夜は人が少なくなり、特許を取得したと書かれているロボットが整列をうながす音声を流していた。私が引いたおみくじは大吉。意外と幸先が良い。

その後は、歌舞伎町タワー前の階段でダラダラするなど、研究員はいい歳をしてもやっていることが昔と変わらない。2023年11月、ある研究員がInstagramのストーリーに、10年前のBLAZE前広場での研究員の写真を載せていた。私もいるのだが、まったく記憶がない。当時の広場の周囲は壁で覆われていた。そして、歌舞伎町ライオンズ像にまたがるとしまるは、もうこの世にいない。

この元日、私のこうした個人的なテキストに「元気をもらった」と言う研究員がいた。私のポリープ切除手術についてのテキストに元気をもらったのだという。私は、彼がなかなか手術を受けないことが気になっていたのだが、私のテキストを読んで遂に手術を決意してくれたのだと言う。やはり文章は書いてみるものだ。何の得にならないようなテキストが、人の役に立つこともある。私も強い確信を元日からもらった。

2024年もよろしくお願いします。

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